1975

武蔵野音楽大学名誉教授 佐野 稔先生にクラッシックピアノを習い始める

 

1980

作曲を始める。同時期にバンド活動もスタート。

 

1981

当時の歌謡曲に全く興味なく、洋楽に影響を受ける。DEEP PURPLE , RAINBOW , TOTO , AIRPLAY , MAXUS , QUEEN , VAN HALEN , JOURNEY など。初めてシンセサイザーを購入(YAMAHA DX-7)。

当時かなり話題だったDX-7だが、全く気に入らず、その後すぐに2台目(Oberheim Matrix-6)を購入。現在でも使用。

 

1985

ビデオ制作プロダクション(SCENES-- 旧ビデオクラフト)より音楽制作の依頼を受け音楽制作を始める。ラック音源を中心に機材大幅増設。それまでの同期機材Roland MC-500mkIIからPCでのシーケンスで制作を始める。ATARIとTWENTY FOURの組み合わせでスタート。途中CUBASEにソフトを変更。VP、TV、RADIO等の音楽制作を手掛ける。

 

1988

この頃よりアーティストサポートミュージシャン活動を開始。浅香唯、島崎和歌子などの歌謡曲系アーティストをはじめ、DIE IN CRIESやT BOLAN、GrandSlam、SoonなどのROCK BAND系のコンサートツアーをキーボード&シーケンス(同期)でサポート。日本武道館公演(4回)を始め全国のコンサートホールにて活動。また、TV音楽番組等の出演のほかTVドラマ「チャンス」(CX)で東幹久のバンドメンバー役として出演。

シーケンスシステムをATARIからMacintoshに変更。(ATARIの頻繁なフリーズに耐えられなくなった為。)Macintosh SE30(RAM-5Mb)とシーケンスソフトVISIONの組み合せで制作を開始。(以後7300、G3、G4、G5、Mac Proと買い換え、買い足しを続け、アプリケーションもVISONからLogicに乗り換えていく。現在はLogicProXとProtools(たまにStudioOne)

 

1993

大手企業などを基盤としたマルチメディアの一環制作を主体とする会社(株式会社ビッグバン)に音楽制作顧問として在籍。様々な企業のCD-ROM用の音楽制作に携わる。同時にインターネットのWEBサイト構築をエンジニアから享受。その後、制作技術とネットワークの知識を得る。

 

1998

ホームページ制作の知識とクリエイターのブレーンを活かし「制作集団 スクリプト」を設立、代表になる。医業コンサルタント会社(株)ジェイテックメディカからの依頼を受け、新規開業するクリニックのホームページ制作を始める。他制作会社との差別化を狙いホームページ制作はクリニック開業医のみ取り扱う。

 

1999

コンサートサポート活動の合間に、自らのバンド「SWALLOW DRIVERS」を結成。全国区での活動を開始。WNC SHOWCASE CIRCUIT日本武道館FINALに出演・受賞、その後2年間の活動を経て活動休止。

 

2001

ポップロックバンド「パロスペシャル」にプロデュース及びKeyboardサポートとしてライブ参加。以後メンバーとして参加。途中「PAL SCROLL」と改名、全国区の活動を開始。自主レーベル「ENTER RECORDS」を設立。ワンコインCDを3タイトル販売。各200枚完売。その後ミニアルバム「HUMAN」を発表。日テレの携帯サイトの着メロランキングで初登場8位からその後1位を記録。渋谷HMVでは試聴コーナーにも置かれ渋谷チャートでは8位を記録。その後、惜しくも解散。

 

2003以降

「制作集団 スクリプト」の業務と、個人の音楽制作を合わせた制作プロダクション「有限会社デルタワン」を設立。代表取締役に就任。 英語のオーディオ教材や、TV番組の音楽など制作。

宅地建物取引士、第二種電気工事士、資格取得。

 

以降、現在、様々な経験を基に各種制作現場にて精力的に多方面で活動中。

 

 

 

 

代表プロフィール

代表取締役

Jun Takagi

高木 淳

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